トランスパラント・フットプリント

ちはやブルーフィルム倉庫

短編小説

眇の緋(すがめのあか) 

麦茶は、好きではない。 水でいいだろうと思っていた。暖かければ紅茶でもいいし、濃く淹れたコーヒーを氷に差し込んでもいいだろう。けれど、彼はそうではなかった。「夏は麦茶が良いなあ」冷蔵庫を開け、チラチラ私を見ながら言うのだ。 なんてつまらない…

虚の口(ウツロノクチ)

私は、美術部だった。だったというのはもうやめてしまったからだ、わがままを通して親に買わせた油絵の具はそろそろロッカーの中でカビが生えていることだろう。やめたことは親には言っておらず、活動をしていることにして必要経費と言って小遣いをせびるの…

杙の島(クイゼノシマ)

夥しい死の上にいた。 風が金網を揺らす音がする。室外機がやかましく唸っている。それだけ。あとは、私の呼吸の音、私の心臓の音。それすらもどこか遠くからサランラップ越しに聞こえてくる。電子レンジであたためられゆく仔猫のビデオを見ているかのごとし…

シオンナモナの塔

「あれまあ、どうして起こしてくれなかったんよう!」 そんな声で目が覚めた。 制服の、少女の後ろ姿が見えた。うなじと運転手に食ってかかる横顔が見えた。怒っているようなのに眉は太い、上で留められた髪のおかげで露出したうなじは世辞抜きに綺麗で、寝…

ファン・デル・ワールスカ

それはさておき、この世界のファンデルワールスカがいつもぼくを攻撃している。ファンデルワールス力(りょく)ではない。そんな物理の授業でぼくをこうげきするような生やさしい「力」なんてカテゴリーに包括されるようなものではない。 ぼくをいつもいつも…

終の苑(ツイノソノ)

地を這う人々よりも、わずかばかり空に近い場所で。 さらに空に近い場所へ、既に動かぬ足を踏み出した。 本当ならばその汚れきった魂は、糸を断たれてヘリウムいっぱいにはらんだ風船のように空へと持ち上がり、エアの無くなった上空で溶ける。そのはずだっ…

リサ・キーンの朝食

ぼくらは、スクールバスが嫌いだ。 嫌いだ、といってどうなるものでもない。スクールバスがなければ学校には通えない、学校に通えなければ学ぶことも友達と遊ぶことも教師たちにしかられることもままならない。ぼくらの学校は、とても歩いては通えない場所に…

スケール・ウィズ・スカル

朝早い教室だった。朝練のはずだったけれど、俺しか部室にいなかった。一人でフるのもバカバカしいのでさっさと教室に来たというわけ、コバッキーはあとでシメるとボードに書きおきして扉を閉めた。震えて眠れ。 木曜日だからグラウンドで野球部が練習してい…

プライアー・バーサス・ライアー

吐き出さなかった想いは、恋になんないし。 そうノッピは言った。 あたしとその他の有象無象は教室で待っていた。ここにいるのは勝者だった、四限のチャイムが鳴り終わる前にあたしが足した一本の線が勝敗を定めてしまった。ノッピはすぐに戻ってきた。後ろ…

メメントモリ・セメタリー

朱茅ほのかは、猫がどこに帰るのか知りたかった。 それだけなんだ。 塾から帰るところだった。 さっきまでほのかは教室の中にいた。三人の小学生がお行儀良く揃って横並びになれる机と椅子のセット。真ん中の席に座ると授業中にトイレに行きにくくなってしま…

テルミット・ルミネセンス

■1■ ――「納涼十三里半浜大花火大会」 ブロック塀に貼られたポスターだった。近くの中学生が描いたらしきそれは、花火そのものよりも浴衣を纏った少女が真ん中に配置されていた。下の方には日時と場所と注意事項が大きく赤字で印刷されている。その情報の群…

シルクロジック・クロスゴシック

シルクロジック・クロスゴシック 「今度の連休に一緒に釣りでも行きませんか? 二人で!」 ――と来たものだ。これはいわゆるデートのお誘いというものではないのでしょうか? さらに「――連休に」などといっているからには、そう「お泊まり」すらあちら様の視…

アイシクル・サイクル

アイシクル・サイクル 石井孝親〔いしいたかちか〕の火曜と木曜と土曜の朝は早い。 どれくらい早いかというと五時には起きている。そんな時間だとお袋も相手にするのがバカバカしいとばかりに昨日の夜の内に弁当の準備をしておいてくれている。孝親は朝起き…

パーペチュアル・テンペラチュア

――スノウズ―― 寒い日のことだった。 その日も一年生だった。渋谷にも新宿にも寄り道しないまことつまらぬ私だった。ハンバーガーチェーンとコンビニと牛丼屋とベーカリーのある最寄り駅。本屋さんも魚屋さんも肉屋さんもとっくに泥の海に沈んでしまった街を…

シンキング・シンク・ライク・クライシス

夏もなかばの海だった。 赤と白のパラソルの陰。あたしの隣でたっぷりとした胸が寝そべり、しきりに上下している。あたしたちは波打ち際でさんざはしゃいだ後だった。 「静かですね」 逆光の中でカレシはあたしに囁いた。あたしの上を通り越す細い腕は、夏…

バンカーサイド・オクトーバ

校舎はついさっきまで赤かった。それは藍色に染まり、すぐに闇の中で仄かに月の光を反射するだけになった。半分強の月が高いところでたったひとり、申し訳なさそうに座している。 文化祭前の最後の夜だった。さっきまで俺が「現実的な確率遊戯」をしていたプ…

ファング・オブ・ザ・フロッグ

四年ぶりの飛行場だった。 パパがまた転勤になった。 ママは一週間で何もかもを箱詰めにする遊びに精神を冒された。弟は友達から借りていたゲームソフトを段ボール箱の奥底に封印されてしまった事について壊れたスピーカーのようにぎゃあぎゃあと吠え猛って…