トランスパラント・フットプリント

ちはやブルーフィルム倉庫

ファン・デル・ワールスカ

 それはさておき、この世界のファンデルワールスカがいつもぼくを攻撃している。ファンデルワールス力(りょく)ではない。そんな物理の授業でぼくをこうげきするような生やさしい「力」なんてカテゴリーに包括されるようなものではない。

 ぼくをいつもいつも攻撃し、その刃を向けてくるのは「ファンデルワールスカ」だ「力ではないカタカナの「カ」だ。そういう固有名詞だと思ってもらって構わない。この呼称は本来本質を顕わすものであるから「名詞」だなんて生温いものじゃなく。それを呼べばぼくは自分をこうげきすることになる。なぜなら「ファン・デル・ワールスカ」――こうするとなにかサッカー選手のようだ――を呼ぶ事は、己の喉元に刃を突きつける行為に他ならない。たいした自殺志願者だ。

 ファン・デル・ワールスカはぼくのことを苛むときはもちろん少女の形をとっている。そのやりかたはひどく狡猾だ。人間には想像もつかない卑劣なやり方でぼくの自尊心を蝕み、楽しんでいる。彼女――もうあえて彼女と呼ぶが、女とは限らない。そもそもぼくは彼女の下着の中に手を入れたことはないし、胸板を確認したことも、腹を割いて生殖器のありかをさがしたこともないからだ。ぼくがそれについてしたことがあるのは毎朝二つ食べる生卵にたいしてくらいのものだ。なんといううぶなぼくだろう! ああ、ぼくは何の話をしていたっけ? そうだ、彼女は女かどうかわからないし、確かめる術もない、触れたこともないけれど「ファン・デル・ワールスカ」は確かにぼくを日々蝕んでいるのだ。それはぼくにすら見えないものだ、もちろんきみにも、きみらにも見えない。見えたところで彼女に対する価値観が変わることもない。「ファン・デル・ワールスカ」はいつも「ファン・デル・ワールスカ」なのだ。

 ああ、ぼくはこうして彼女を呼ぶ度にひどい侮辱を与えられているのに、どうしても呼ぶのをやめることは出来ない。きみと話をはじめてから一体何度恍惚としたぼくの顔をきみらにさらしてしまったのか、数えているだろうか。ぼくは数えていた気がする。21回だ。今22回に増えた。そんなには呼んでいないって? あああああ、キミには聞こえないかもしれないが「ファン・デル・ワールスカ」を呼ぶことばは一種類でしかない。「ファン・デル・ワールスカ」は彼女を示すひとつの側面でしかないんだ。ほら、こんなにぼくの腕が短くなってしまった、呼びすぎたんだ、呼びすぎたんだ! もっと呼びたい。呼びたい。呼べば骨が灰になってしまうし、呼ばなければそこの灰がぼくの骨になってしまうんだよ。すごく、とても困る。困らないかい? だって灰は燃えたあとのものなのに。燃えたらどうするんだ、燃えたあとは灰になるけれど、燃える前はなんだったんだ。「ファン・デル・ワールスカ」を燃やすことなんて、ぼくにはできない! ああ、笑っている、小悪魔のような妖艶さで笑っている。彼女の右手の法則がぼくを玩んでいるんだ。きみ、きみ、もしかしてぼくははしたないことをくちばしったり、じぶんではわからないけどキミに危害をくわえたり、してはいないだろうね? いない? いるかもしれない。ああ、でももしかしてそんなに赤くなっているのはそうか。そうだったか。きみも「ファン・デル・ワールス・カ」が好きなのか。

 しまった、ぼくはきみのきもちを一つの言葉で表そうとしてしまっているね。ちがうよ誤解しないで「ファン・デル・わーるすか」あれ、あれれ。ぼくはもっとおかしくなってしまった。きみが「ファン・でるるるるるるるるるわーるすかあ?」 あ? ああああ。きみが? そうか、きみが! そうだったのか! だったらこの灰たちは救われるじゃないか。骨は灰にもどっていけるじゃないか。ちからは左小指の法則が、大静脈に流れ込んでいくことを祝福するのかな? わかってるんだろうわらっているんだ。ごほんにん。つめたくきびしく。そう言えば五年前のあの日もきみは「ファンデル・ワールスカ」じゃなかったかな。それはぼくらがはじめて「ワールスカ」した日じゃないか。「すか」「かす」「かすか」「るす」「でる?」「する?」「わる」「すわる」「からす」「かる」「ふあん」「かする」「かわす」「かす」「くびる」「ながし」「ゆ」「L」「なわとび」「しめい」「めいし」「ぬく」「ぬくい「ふく「yあ;」「しsか」あ「う゛ぁ」

 

 「ファン・デル・ワールスカ」

(2009-09-25 初出 「20分で物書きをしよう」ブームの際に)