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トランスパラント・フットプリント

ちはやブルーフィルム倉庫

杙の島(クイゼノシマ)

夥しい死の上にいた。

 

 

風が金網を揺らす音がする。室外機がやかましく唸っている。それだけ。あとは、私の呼吸の音、私の心臓の音。それすらもどこか遠くからサランラップ越しに聞こえてくる。電子レンジであたためられゆく仔猫のビデオを見ているかのごとし心境。現実感などありはしない。喧騒と埃の匂いに包まれた退屈な学園生活は、至上の静寂に変わった。

しずかなしずかな屋上。

 

「あー」

 

声が出る。

屋上には誰もいないのが普通だった。屋上は、入学する前に誰もが憧れる憩いと憧れの場である。だから、ゴールデンウィーク前辺りまでの昼休みには、新入生たちが意気揚々と、または思惟の場を求めて階段を四階から駆け上ってくる。

そして、窓も付いていない重苦しいドアと、そこにご丁寧に後から付けられた南京錠にうちひしがれ、あるものは諦めきれず階段に腰を下ろして、燦々と照る非常誘導灯に見守られながら、当初の目的の半分くらいを果たそうとして、不満そうな顔でチャイムを聞く羽目になるのだ。

教師たちだって暇なガキどもが高いところが好きなのくらいは先刻ご承知だし、同じような目的の生徒達だって多い。だからこんな場所で秘密の会話も会合も、思惟の時間も、持てはしないのだという現実を飲み込んだ挙げ句に、ここにやがて誰もこなくなるのだ。彼らは、音楽の授業がない曜日の音楽準備室や、特別授業棟のトイレ、中庭の用具置き場、ロッカールーム。存在しない部の存在する部室、学外。そんなところに散らばっていった。

 

 

四月。諦めのわるい私は、屋上への道を閉ざした無慈悲なデッドエンドの上に設けられた点検口を見上げていた。暗い屋上には腕ぐらい太く、油のにおいがするロープが積み上げられていた。その下には小さな脚立が隠れていて、そこに乗ると、女子の私でもその点検口からぶら下がる透明な糸の存在に気が付き、手を伸ばす事が出来た。引っぱると、点検口を留めているネジが回り、蓋が内向きに開いて空が見えた。そのままひっぱると縄梯子がばらばらと頭の上に落ちてきて、私は悲鳴を上げた。

 すごい音を立てたはずなのに、誰も来なかった。昼休みのチャイムが鳴った。目の前でぶらぶらゆれる縄梯子がうらめしい。脚立から降りて、それを元の場所に隠しても、縄梯子は天井にぽっかり空いた穴から垂れ下がっている。これを登れば屋上に出られるに違いない。が、これは明らかに反社会的な行為に思えた。例えば、電気ノコギリで南京錠を破壊して屋上に出た方が、あとでバレた時にいくぶん言い訳が効くような行為に思えたのだ。

チャイムが鳴って、しばらく経った。私は縄梯子を掴み、懸垂の要領で体を縮めて持上げる。揺れてしなる縄梯子の一番下に、スカートが捲れるのもこの際気にする余裕もなく、右足を思いっきり差し込んだ。一番上まで辿りつくと、縄梯子を巻き上げて、蓋を持上げる。蓋と縄梯子には糸が付いていて、そこを下から引っぱるとさっきのように蓋が開いて梯子が落ちるように細工されていた。降りたあとは、糸に紐を通して引っぱっていけば梯子が巻き上がっていく仕組みなのだと想像できた。

屋上は、広くもなかったし、きれいでもなかったし、静かでもなかった。確かに誰もいなかった。私は銀色と白の配管が張り巡らせられた不埒な隙間をできるだけ通るようにして屋上を一周して満足し、屋上をあとにした。

 スカートもブラウスも、油で汚れてしまっていた。うんざりしながら、苦労して梯子を収納した天井を見上げる。点検口に見せかけた偽の楽園へ続く扉。蓋と縄梯子は何のためかはわからないが、誰かがあとで付けたものなのだろうと思えた。あの些細な屋上を一人のものに独占したがった誰かが。

私は、そのまま家に帰った。

 

それから、私は屋上によく足を運んでいた。服を汚さないように掃除をして、シートを敷いて弁当を食べて、五時限目は本を読見ながら過ごすのだ。ある雨の次の日に蓋を開けると、どっと雨水が落ちてきて濡れてしまったことがあった。始めて開けた日は空が見えていたのに、どうして降ってこないのか不思議だったけれど、ともかく私は梯子の上の屋上に続く二重の口の上にも蓋をして出ることを忘れないようにした。

 

きっと、楽しかったのだと思う。

 

この日も、私は昼休みからこっち屋上でサボりを決めこんでいた。相変わらずドアは施錠されたまま、空への窓は施錠されないままだった。つまり私は、自分以外の誰にも邪魔されずに――そう、この日まで、だれとも出くわさずにいた――本を読んでいたい気分だった。金曜の五限は世界史で、穏やかな講師の教え方はうまくて女子からも人気があった。しかし、私はその教師がひどく嫌いだった。理由をまとめて述べることはとてもむずかしい事だけれど、「あの顔を一時間見るくらいなら、フナの解剖で腹の中から出てきた不吉な虫を眺めていた方がマシ」に思えた。単位ひとつくらい、捨ててしまっても構わない。

 そして今、その講師を嫌いであったことを感謝している。

 

――嫌いなおかげで、生き延びた。

 

死体の山をその天井口から眺めながら、そんなことを思う。

 

屋上に続く重い鉄のドアに向かって彼らは一直線になっていた。主に制服を纏った同校生達はおおよそ背中を向け、ドアに向かって死んでいた。その葬列は階段までぽつぽつと続いている。血の臭いはしない。バスケ部の朝練のあと、人の集まった朝礼の体育館みたいな匂い。その隙間から酸い臭いが混じる。

ドアは結局、彼らの手によって開くことはなく、誰も私のいる天井口には気付かなかったのだろう。持ち込んだビニールベッドに寝転び、優雅に昼寝を決め込んでいた私は、生きていた彼らが悲愴にドアを叩く音と怒号で目を覚ました。だけど、南京錠の鍵を持って居る訳でもない私にはドアを開けることはできなかった。仮に開けられたとして、危機を声高に示し、恐怖を煽るその扉を開けることができたかどうかわからない。

やがて、ドアは響くのをやめた。ドアに耳をあてるとひやりとした。校舎が水の中で呼吸するごとき音が聞こえる。それらの合間に、弱くなった悲鳴が、幽かな怒号が、聞こえた。もうドアを叩くことすら出来なくなったのだろう。

携帯電話を取りだした。メールがいくつか来ていた。前述の世界史の講師が、今日はついに私の不在についてうるさく言っていたと、クラスメイトから送られたちくりと迷惑メール。それだけだ。屋上で見たことの無い『圏外』の表示が薄ら寒かった。電波を探すためドアから離れ、金網の方に走った。しかし、電波が捕まることはなかった。金網越しに見下ろす校庭にはだれもいなかった。いつもは、二年生が校庭で授業を受けている時間のはずだった。校庭に向けたスピーカーが、光化学スモッグ注意報が発動されていると繰り返していた。 

圏外は治らず、校庭の無人は変わらないまま、数十分が過ぎた。ドアに耳を付けても、校舎のどこかで空気と水が流れている音しか聞こえない。そしてそれも、もしかしたら自分の血流と呼吸の音なのかもしれなかった。

天井口の蓋に手をかけて迷って、逡巡の末に開けて――私は、地獄を目にした。悲鳴も何もでなかった。ドアの向こうの尋常ならざる様子と、突然の静寂から、これは予想されうる状態ではあった。それなのに、私の耳は遠くなり、歯がかちかちと鳴り、天井口が歪んで落ちそうになるからアルミの枠をしっかりと掴んで泣こうと思った。なのに、「あっ、あっ」とリズムのあわない嗚咽が漏れるばかりだった。汗や涙が、私より先に降りていった。誰かが笑ってくれるのを待った。

――世界は終わって、自分ひとりだけが生きているのだろうか。咳と嗚咽は自分のものしか聞こえない。天井からひとりだけ見える仰向けの少女の顔は、作り物やドッキリじゃなく、どこまでも本物の死に思えた。ドッキリだとしても、あんな不様な顔していたら生き残っていけやしない。彼女の顔をじっと注視していたら、視界の揺らぎが治まった。落ちた縄梯子が私が降りるのを待っている。

しかし、いつものように天井口から降りれば、誰かを踏みつけることになってしまう。スカートの内側が見られないように気にするべきか悩む。だって、そこにあるのは無数の死体だが、大勢の同年代の異性と同性なのだ。恥じらいを含んで悪いことがあろうか――。

 

「――あ、待って、戻って」

 

それでも決心して足をかけてすぐ、屋上に続く階段の下からそう声がした。くぐもった響き。ビニール袋を被ったらそんな声が出そうな色合い。私は梯子を半ばまで降り、スカートのひらめきを抑えながらしばし待つことにした。

「歩きにくくなったもんだよ、っと」

「――?」

後頭部が見えた。長い黒髪になにやらものものしいヘアバンドを着けているように見えた。踊り場で振り返る。それはヘアバンドなんかではなかった。ガスマスクを装着し、拳銃をぶら下げた女生徒が、肉をかき分けながら登ってきた。

私は状況をはかりかねていた。

「ちょっと待ってね」

「なに?」

「仕上げが、肝心だから」

ガスマスクを背負い、右手に構えた拳銃を下に向けて膝に当て、空いた左手で撃鉄を起こした。

「――ひッ!」

撃たれる。そう思った私の体は、手で頭を守ろうとした。重力が私を捕らえて肉の海に引きずり込む。銃声が聞こえて、私は後頭部をしたたかにぶつけた。

撃たれたのだと、死ぬのだと思った。

 

 

陽射しと埃の匂いがした。少し高い枕だった。

「起きた?」

「あれ」

陽射しが遮られた。これはなんだろう。首を横にする。枕はやたらと熱をもっていて、堅い。唇の端に冷気を感じて口を拭うと、涎が垂れていた。その先を手繰ると、枕だと思ってた布が濡れていた。

「ふぁ、私。ごめん。あの、あれ? どこ?」

「屋上」

彼女はスカートを汚されたことを気にする風でもなく、笑っている。そういえばさっき、私はこの子に殺されかけていたのではなかったっけ? それともあれは、暖かな日がサボリに灸を据えるために見せた白昼夢だとでもいうのだろうか。

「……」

「どうしたの、じろじろ見て」

「なんか、ふらふらする」

「結構強く頭を打ったみたいだからね。脳震盪でも起こしているんじゃないかな」

「そう……かな」

たしかに後頭部はずきずきと痛んでいた。手を当てれば痛む。そして、その痛みとともに、縄梯子から落ちたこと、そこに至るまでの終末的な顛末を思い出した。大量の傷のない死体、拳銃、ガスマスク、黒髪。

「……」

私は彼女を見る、黒髪で、傍らにはガスマスクもある。マスクを取った顔には見覚えがある。名前も知っている。そこまで親しいわけではなかった――ように思う。少なくとも、気絶している間に膝枕をされてしまう程親密な関係ではないハズだ。けど。

「どうしたァ?」

「……撃たなかったの?」

痛いのは頭と、足も打ちつけたようで立とうとすると激痛が走った。しかし、どこからもどくどくと血が流れているような大けがをしてはいなかった。

「撃ったよ」

「コントロールが悪かったの?」

「いや、近くで撃ったし、動かなかったから当たったよ。見てくればいいじゃない」

「うそ、私どこも穴なんてあいてない」

「穴があいているのはきみの目? ぼくが撃ったのはそのドアに付いていた錠前だよ」

膝で立って振り返ると、なるほど、ずっと閉まっていたドアが開いていた。真鍮のガラクタが錠前にへばりついている。ドアが閉まらないようにか、男子生徒の死体のうちひとつがもたれていた。

「軽そうなのを選んだんだけど、引き摺るので精一杯だった」

「……そう」

軽そう、なのは何より彼女そのものだった。真面目そうな風貌や佇まいとは裏腹にだ。

「他に、いるの? 生きてる人」

「さあ、生きていれば誰か来るだろうね」

「電話も通じないみたい、圏外」

「そうだね、固定電話も、主要キャリアのアンテナもキルしておいたからね」

「……あなたが、やったの?」

「そりゃそうだ、きみとぼくだけが生きていて。きみがやったのでないなら……残るのは誰だろう? あ、きみはもしかして、この学校だけじゃなく、この町とか国とかが、全部こうなってしまったと考えてしまった?」

――そりゃ、メルヘンだよ。と彼女は笑った。

「階段の下も? 全部? あなたのクラスも? 保健室も?」

「一階から順番にね、逃げられないように。といっても殆ど同時だけれど――」

彼女は自分の『計画』についての解説をはじめた。その計画は大胆で、緻密だったけれど、どこで何かがずれても上手くいかない類のギャンブルじみた、言わば「メルヘン」的な計画のように思えた。それにその計画はどうやらこの学校を全滅させることが目的のようでいて、彼女自身の動機も、意義もまったく見えて来るようなものではなかった。 

「それじゃなんで、殺さないの? 皆殺しなんでしょ」

「一年の時、きみはぼくに良くしてくれたろ、そのあとはきみはぼくを避けるようになった。でもきみは、たまに干渉してくれたじゃないか。きみは、どうして干渉してくれたのかな? 自分の身を危険にさらすかもしれないのに」

「迷惑だった?」

「とんでもないさ、きみの立場ならしかるべき対応だったんじゃないかな」

「あなた、そんな喋り方じゃなかったと思う」

「わざとだよ、もちろんね」

どちらが? とは聞かなかった。

「どうするの、これ」

「どうもしない。面倒じゃないか。それにそれこそ、あとの人たちに迷惑なんじゃないかな。きみは証拠が欲しい? きみが生き残るための、被害者でいられるための理が要る?」

「いまのあなた、生き生きしているわ。うらやましいくらい」

「本当に? 髪を右半分だけ切られたり、残り半分をロッカーにくくりつけられて、服を脱がされて写真を撮られたり。そこに酸をかけられたり、それを世界中に配信されたり。家に帰って中から解剖されたハムスターが出て来たようなこととか。喜怒哀楽を現しても、他のすべてを隠しても、執拗に、執拗に落とし穴を掘って回るんだ。それはぼくだけじゃなく、やがて家族にも及んだ。先月四十九日が終わった。四十九日が終わったからどうだというのか、ぼくにはわからない。ただ、ぼくはほっとした。そして感謝してもいる。ぼくは、あの人をもう苦しませたくなかったから」

一息。

「――強い男の子が欲しかった、んだって。あの人は」

その声は泣いていただろうか。こんな極限状態で死んでもいなければ、泣いてもいない自分が異常者であるかのようだった。ふと彼女は、その辺に転がっている男子生徒をひっくりかえした。髪の色が薄いその男子の名前も顔も、私は知らなかった。上級生であるかどうかも知らない。赤い血みたいな色をしたTシャツの上にワイシャツを直接着て、ボタンは上から三つばかり開いている。

 彼女は「未来などない」と横文字で高らかに謳う傍らに屈んで、内ポケットから煙草を取り出した。銘柄になんとなく覚えがあった。赤い口紅を付けた女性にこそ似つかわしそうな細い煙草だ。

「ん、愛らしい」

パッケージの中にライターはなかったようだ。彼女は一本をくわえ、ものいわぬ同校生の腹にのしかかり全身をまさぐる。写真機があれば扇情的なシーンを撮っておけたと思った。

 彼女は首尾良くズボンのポケットにジッポライターを見つけた。彼女はジッポの灯をじっと見つめていたかと思えば、蓋を閉めてまた開けて、何かに納得したように笑ってひとつ頷き、ようやく火を点けた。口に咥えられた細いものがうっすらと煙をまとう。いのちを与えられなかった火は燻ったまま、力弱くなっていた。

「吸わないの?」

私はそんなことを聞いていた。彼女はくわえているだけで、吸ってはいなかった。赤く光らないままでいるのだ。

「吸ってる」

「うそ、貸して」

私のどこに、そんな勇気があったのだろう。私は颯爽と彼女に近づくとひったくるように煙草をかすめた。そのまま口にするとひやりとした。メンソールの冷気はあとからやってきた。先端で火が踊り、死んでいく。彼女はそれをじいっと見ていた。久しぶりに肺に入った紫煙が燻りとなって屋上に溶けていく。

「あーあ」

それを見て、彼女はとても切なそうな声を上げた。目を向けると笑っている。私を見て無邪気に手を差し出したので、私は半分以上残っているそれを、すっともうひと吸いしてから、彼女に吸い口を向けて差し出した。でも彼女は、手を差し出して起きながら、口を近づけて、私の手にあるままそれを吸った。

「けんっ」

煙に慣れていないのか、彼女は噎せた。

「はじめて?」

「くは……いいや、たまたまだよ。その、思ったよりも薄荷が強い」

 彼女はうらめしそうに、まだ私の手で逆手に持たれて紫煙をたなびかせる煙草を眺めていた。私は、まるでいつもそうしているように自然に、その煙草を口元に持っていって、吸う。造作もなく煙を吐く。メンソールが喉の温度を、ニコチンが現実の温度を吸い取って大気に返す。日常的に吸っているわけではないから、噎せはしないけれど数字が弱くともくらくらと響く。

彼女の言葉は、嘘だと思った。

私は背中を金網に預けて、もう自分のものにした煙草を吸う。そういえば、学校で吸ったのははじめてかもしれない。

「サマになってる」

「そう?」

彼女は煙草を私に譲ったようだった。吸うわけでもないのに、探してまで火を点けたのはなぜだったのか。そんなに飄々として、こんな惨劇をやらかしておいて。返り血ひとつ浴びていないのに、なぜだか全身から死のにおいをさせている。

「みんな、死んでるの?」

「たぶんね、脈を測って片っ端から蘇生を試みてみるかい?」

「私も殺す? みんなを殺したように」

「死にたかった? それとも、平然としてるように見えるけれど吸っちゃった?」

二つの質問に私は一度首を横に振った。

「あなたが、やったのね。ひとりで」

「うん、ぼくが撒いた」

それは、復讐? と聞くかわりに煙草を吸った。長くなっていた灰が落ちる。なにもかもが恨めしい、なんてそんな目をしてるわけじゃない。私だったらどうする? この学校をまるごと、こんな毒の沼にするにはどうする? 今日考えて、明日実行できるだろうか? 機を見て、その日がきたらやり遂げるだけの計画性と覚悟をもって臨むに違いない。

なのに、彼女にはそれがない。きっと、最初にはそんなものがあったはずなのに。煮えたぎる金属のような粘ついた情動があったはずなのに。憑きものが落ちたかのようにすっきりとした顔をしている。

「――あなた、前からそうなの?」

彼女はその問いに答えなかった。

「意外だなあ」

「なにが?」

「もっと、取り乱すものだと思ってた」

「私はどうして、生きてるの?」

「哲学? それに答えるには社会科の教師をひとり生かしておけばよかった」

「違う、知りたいんじゃないの」

吸うと、味気のない空気が入ってきた。指が熱い。熱さにようやく指が驚いて、手を振ると、灯を失ったただの吸殻となって床に落ちていった。

「生かされてるの? あなたに」

「ぼくは、神様じゃないよ。たまたま、死ななかっただけさ。ぼくもね」

「あなたは、何故死ななかったの?」

「死ぬのが、怖くなったんだ」

「死ぬつもりだったの?」

「ねえ、もっと楽しい話をしよう? どうせ、みんな死ぬのだもの」

「でも、死ぬのはいつでもできるでしょ。だからだれも好んで他人を殺したりはしないじゃない、自分から好き好んで死ぬわけじゃない」

「うん」

――それで? と彼女は首を傾げた。

「あなたは、どうしたかったの?」

「ン――」

彼女は階段の方を見た。死体の山。静寂の澱。

「こう、したかったのさ」

「うそ」

――ウソじゃないよ。

 彼女はそう言いかけたのだと思う。でも、私たちの間に電子音が割って入った。それは一つだけではなくなった。死体のいくつかは揺れ動き、いくつかは陽気な電子音をけたたましく鳴り響かせた。あろうことかファンファーレまでが鳴っている。

「――なによ、これ」

「お迎えが来たんだよ。ぼくはもう、行かなきゃ」

びーっ。とポケットで私の携帯電話が揺れた。取り出すと着信とメールが何件も入っている。「圏外」の表示が失われている。彼女はすたすたと校庭の見える所までいって、金網越しに指を指した。その先にはパラボラアンテナを積んだ車がいた。そればかりではない、物々しい装甲車が次々と校庭に入ってきて、その中から緑色の制服とヘルメットを被った人々がぞろぞろと出てきていた。

「こういうこと、お別れ」

「どうするの?」

どうするもなにもない。彼女は、どうにもならなくなるのだ。どうにかしてしまったのだから。ここから先、彼女をどうにかするのは彼女ではないのだ。

「逃げない、の?」

きれいな屍肉をかき分けて、もう踊り場にまで降りていた彼女に問いかけた。女生徒を無造作に踏みつけながら、答えが返ってくる。

「どうして?」

私は押し黙った。彼女を止める言葉がもうなかった。いや、彼女は自分から止まりに行く事を選ぶ。こんなたいそうなことをしでかしておいて、私を――。

「そうだ」

 ガスマスクを被りかけた彼女は、思い出したように口を開いた。

「今日はありがとう。それで、謝らなきゃいけないことがひとつある。言うとおり、ぼくはウソをひとつついているんだ」

「私も殺されてたんでしょう?」

「いいや、四十九日さ」

私は今、どんな顔をしているのだろう。

「ね、そんな顔をしないで。祝福してよ、だってぼくは――」

 

 

彼女はそうして、再びガスマスクを被って行ってしまった。

屋上の金網に両手をかける。その下に彼女が見える。

校庭の真ん中で、そこに乗り込んできていた白い全身防護服の、銀色の盾を備えた集団が待ち構えている。遠い国の惨劇を伝えるVTRのように。彼女が勇ましく一歩進むごとに、その集団から何かを呼びかけられている。それがなんなのかヘリコプターの音がうるさくて聞こえない。

ガスマスクを投げ捨て、リボンを解き、あらぬ方向に両の革靴で天気を卜い、そのまま靴下を解き、スカートを落とし、ブラウスをはだけ、下着を下ろし、拳銃をひとつ残すだけになっても、同じリズムで進軍していく。 

最後に銃を、そっと脱ぎ捨てた。

 

 

耳が破れるほどやかましいヘリのローター音の中、ずっと彼女の最後の声が響いていた。

 

 

「――これから、生きるのだから」

 

 

 

 

屋上の鉄扉が、再び閉じていく。

文学フリマ11初出)