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 高校生 

 会長・副会長・書記 

 

 踏切の向こう側で手をつないでいた。

 

 生徒会の副会長と書記の二人はいつも最後まで残って仕事をしていた。会長の私はというと、家が店をやっているものだから、早く帰って手伝いをするなり家事をするなりのことにあたらねばならなかった。けれど、この日は帰り際に寄った図書室で、借りていく本を物色している間に寝こけてしまっていたのだ。母親に謝りのメールを入れると別に怒っていなかった。「無理するな」なんてメールがくれば、逆に「なめるな」と返したくなるのが私の良いところで悪いところだ。

 ともかく、私はそんなこんなで夜の道を走っていた。体育会部活ですら野球部を除いて帰っている時間。駅の改札は踏切の向こうにしかない。あまりにも不便なそのロケーション。長い長い貨物列車が通り抜けていくその前に、私の気配に副会長が気づいた。

 手をつないでいた。

 暗がりでも、指と指が絡み合っているのがわかる。おっとりとした書記の子は、生徒会の中でもマスコットのようにかわいがられていたし、実際とてもかわいい。副会長はというととても頭のキレる子だ。だから、私は、貨物列車が横切っていく轟音が途切れ、街頭の安定機と虫の奏でるオーケストラが聞こえるようになるまで、呆然としていた。振り返った副会長の表情に、私は胸を射抜かれてしまったから。

 

 ーー通学路で逢瀬を楽しんでいるだなんて、なんて迂闊なの!

 ーーなんてことなの、あなたたち女同士でしょう?

 

 どちらもなんの説得力も持たない。女同士だからどうしたというのだ。学校がひけたあとにデートを楽しんで何が悪いのか、人がいないとおもって、静かに楽しんでいたところをじゃましたのは他ならぬ私のほうではないか。こうなると馬に蹴られるのは私だ。私の望んでいるのは、そんなことじゃない。

 

「いつから」

 

 走れば、今待っている電車に間に合ったかもしれないのに。私の追撃を逃れられたかもしれないのに。でも副会長はうつむき加減のまま、書記ちゃんの手をぎゅっと握って、体を自分の方に寄せて私をにらんでいた。

「今、かな?」

 参ったな、こりゃ完全に敵じゃないか。私は苦笑いを浮かべるが、どうも、疑心暗鬼に陥っている副会長にはそれが悪巧みか、なにか弱みを握ったような顔に見えたらしい。さらに笑いことに書記ちゃんが一歩下がってきゅっと目をつぶった。

「そっち、行っていいかな?」

「ーーどうぞ」

 電車がくる前に、私はできるだけ飄々とわたりきる。わたりきって仲むつまじいカップルを通り過ぎ、一歩半のところで振り返る。

「ーーいつからぁ?」

 あまりにもおびえていた。なんでそんなにおびえることがあるんだろうか。目の前には離れないようにと見せつけるように組まれた恋人つなぎの手。両方とも、この夜道の中でも暗い。

「・・五月、です」

 答えない副会長の代わりに、0.05ミリペンみたいなか細さで書記ちゃんが答える。甘く幼いウィスパーボイスはとても脳に訴えかけてくる。自分の中になにか芽生えてくる。きっと、二月前の副会長はこの声にやられたのだろう。自分の中で勝手にカタめの副会長が声にやられたシナリオになってしまっているが、たぶん間違いはないだろう。

 

 ーー私だって、興味がある。この子たちがどんな声で鳴くのか。

 

「おっ」

 脳裏にひらめいた自分の欲望に私はおどろいて声が出た。自分はきっとサディストなのだろう。昨日寝しなに読んだ小説に影響されているのかもしれない、そういう物語じみたドラマにあこがれていたら、思いがけず目の前にあった、日常の延長の、他愛もない恋心を見つけてもてあそんでみたくなったのかもしれない。

「だいじょぶ、だいじょぶ。誰にも言わないよ」

 わたしははじめて意識して、いつものようにへらへらと笑った。そうしてはじめてふたりは肩の力を抜いて、安堵した。

「ーーそのかわり、さぁ」

 そのとき心臓がはねる。ああ、ふたりともそんなに泣きそうな顔をしないで。だって、共犯者にして、加害者になりたい。そんな欲求をかなえてくれる絶好の舞台を用意してくれる君たちがわるいのだから。

 

「私も、混ぜて」

 

 ◇

 

 副会長はともかく、案外書記ちゃんは乗り気だった。

 三人で集まって、副会長に使い走りを頼むと、大変いい顔をしてくれるのだ。それが大した用事でもないとなおさらだ。それなら書記ちゃんに頼めばよさそうなものなのに、律儀に自分でその用事を仰せつかる。二人きりになった生徒会室で椅子を彼女の方に寄せるとぴとりとこっちにくっついてくるのが彼女だ。

「みました? 副会長の顔」

「うん、そうそう見れるもんじゃない」

「これも、会長のおかげです」

 書記ちゃんは「にへら」と笑った。私は不穏を感じずにはいられなかった。不安を誤魔化すために会話を続ける。

「いいの、私が彼女をいじめても」

「だって、あんな顔は見れないじゃありませんか」

 落とされた肩が上下し、右と左でそれぞれ触れ合わされた指がなまめかしく動く。それは彼女が退屈を感じた時なんかに自然にでてくる仕草だと知っていてもエロチックなものだった。あの夜の小動物みたいなおびえた彼女はどこにもいない。

「余裕だね」

「もちろんです、だって会長も私たちの仲間になってしまったんですから」

「でもこの関係って、そんなにいけないことかい?」

「いけないことは、これからするんですよ。会長」

「こわいね」

「あと、もうひとつ、私たちの仲間になるんだったら約束してくださいね。これはとても、だれが許そうと、とてもとても、いけないことなんです。誰が、なんと言おうと」

 だから、副会長のやつはあんなに躍起になっていたのだろうか。あれだけまじめなら、いけなくないことを、いけないことと思いこんでしまうこともたやすいのだろうか。

「おーけー、わかったよ」

「わかってませんよ」

「わかってるよう」

 いいえ。と書記ちゃんは言った。

 ふと、背筋に寒いものが走った。副会長が持ち前のお節介を発揮して、気弱な書記ちゃんを保護したくなったのだと、それから二人の蜜月がはじまったのだと。私は思いこんでいたから、その語気の強さに驚いたのだ。

「会長にも、秘密を差し出してほしいんです」